ミスター東大コンテスト2012 EntryNo.1 戸塚康文

2012.12.02

最後の更新です。

コンテストから一週間が経ちました。

 

時を追うごとになんだか寂しさが増していく今日この頃。

 

 

 

まずはご報告を。

 

このたび、私戸塚康文は

2012年度準ミスター東大

に選んでいただきました!!

 

1353860321622ミスター東大安宅さんと

 

 

全て、応援してくださったみなさんのおかげです。

 

いつもブログを読んでくださった方、

ネットで投票してくださった方、

当日わざわざ来て下さった方、

そのほかのみなさん、

 

 

本当にありがとう。

 

 

そして、最後まで一緒に頑張ってきた候補者の皆さん、お疲れ様でした。

 

皆さんと出会えたことは僕の一生の宝です。

 

 

また、今回の活動を全面的にサポートしてくれた広告研究会の皆さん、本当にお世話になりました。

 

本番がとても楽しくて、コンテストに参加してよかったと強く感じることが出来ました。

 

1353887105928 当日の自己アピールです。

 

 

 

さて、最後のブログということで、

 

 

まずは以前書いていた

ミスコンにおけるジレンマについての話をします。

 

 

なんだか心の中に燻っていたもやもやっとした思い。

 

これは、entryNo.3の川島さんのお母様のお手紙によってくっきりと光が見えました。

 

つまり、どういうことかというと、

 

この世の中において、

人の価値というものは本来各々が独立して持っている本源的なものであり、

その一つ一つが尊重されなければならないということ。

 

ようは、人の価値に優劣はないということですね。

 

その通りです。

 

 

だから、ミスコンという名のもとに

 

自分に固有の価値を

 

社会が持つ様々な価値体系の中に放り込んで

 

 

品定めをしてもらう 

ということはなんだかおかしいんじゃない?という疑問。

 

 

 

しかし一方で、

人間は他人に認めてもらうことで満足します。

 

「すごい」と言ってもらえて満足。

「かわいい」と言ってもらえて満足。

「かっこいい」と言ってもらえて満足。

 

 

こうした満足を味わいたい、人に認められたいという願望を

叶えられるのもミスコンの醍醐味。

 

挑戦してみたい。

 

そういう思いもあるでしょう。

 

 

 

この二つの天秤が体の中でどよめきます。

 

確かにこの世の全てにおいて、

人に認められることで満足するという構図上の問題は当てはまるわけなので、

取り立ててミスコンに注目する必要はないのではという考えもありますが、

 

特に、ミスコンに出場するまで人前(メディア)で自分をさらけ出すということをしてこなかった自分にとって

 

今回の経験は、

 

楽しくもあり、かつ怖くもありました。

 

 

 

これが僕が抱いていたジレンマです。

 

 

 

 

 

 

でも

 

こうしたジレンマも、

 

気づいたらもう姿を消していました。

 

 

 

 

何事も実際にやってみることが一番というのは本当にそうです。

 

 

 

コンテストを通じて、

 

人に見られるとはどういうことなのかを強く意識するようになり、

 

今まで見えてなかった社会の一面が見えるようになりました。

 

 

また他にも、

 

 

以前はそこまで気を使っていなかった外見も、

 

人前に出て恥ずかしくないくらいには

 

磨かれていったのではと思います。

 

 

 

 

そして何よりも本番が楽しかった。

 

 

他にも数えきれないくらいのbenefitを

ミスコンはもたらしてくれました。 

 

 

こうした一生に一度の経験をさせてくれた今回のコンテストには本当に感謝ですし、

 

得られたものの大きさからいって、

 

心のもやもやは

 

もはや気にならないものとなったみたいです(@_@)

 

 

 

 

 

 

さて、

 

話を少し変えましょう。

 

 

今回のコンテストで、

 

僕が一番うれしかったことは何か。

 

 

 

 

それは、

 

 

友達の「かっこよかったよ」ではなく、

 

 

「感動した」の一言でした。

 

 

 

感動というものは簡単なようで難しい。

 

映画監督でもない限り、狙ってできるものではありません。

 

おそらく、

それまでの幾たびもの努力の積み重ねがあってこそ、

 

ほんの一瞬であっても

 

人を感動させることが出来るのではないかなと思います。

 

同時に、その瞬間が自分の努力が報われる一つの瞬間でもあります。

 

 

つまり、感動に至るにはvisibleなものだけではだめで、

invisibleなものがあって初めて達成されるものなのだということ。

 

 

そういえば先日、

押尾コータローさんのライブを観に

東京国際フォーラムに行ったのですが、

 

 

生の押尾さんをみたのは本当に久しぶりで、

 

迫力満点の公演を五感全てで体感して、

 

彼の努力、発想、熱意、

そしてその全てが濃縮された演奏に最高に感動しました。

 

音楽のある世界に生まれてよかったと思いました。

 

 

 

僕の友が言っていた“感動”は、

 

押尾さんが僕に運んでくれたこの感動とは、

 

 

全く異なる、

 

本当に小さなものなのでしょうww

 

 

でも、

自分が少しでもそうした「感動」を与えられる存在になれたかな

 

と思うと、

 

もう感無量というか、

 

言葉が出てきません。

 

 

 素直に嬉しい(#^.^#)

 

 

今後も何事にも全力で取り組み、

必死に努力します。

 

それを見てくれた人が、

また何かを感じ取ってくれたら、

それほど幸せなことはありません。

 

 

おそらく、

この自分から他人、あるいは他人から自分への感動の連鎖が、

 

人生を豊かにするのでしょうね。

 

 

そんなことをふと思いました。

 

 

 

 

 

最後のブログで言いたかったのはこの二点です。

 

ジレンマと感動。

 

 

 

 

 

 

さてさて、

 

これから先、

 

どんな世界が待っているのかは全くわかりません。

 

 

でも、

 

一番大事なのは

 

社会に迎合するのではなく、

自分を見失わず、

まっすぐ生きていくことでしょう。

 

 

そこは肝に銘じていきたいと思います。

 

 

 

 

最後に、

 

みなさん、これまでの間、

 

僕のつたないブログをお読みいただきありがとうございました。

 

 

おもしろくねえよと何度も思ったかもしれません。

 

いまさらですが、ごめんなさいwww

 

 

 

 

 

それでは

 

またどこかで会いましょう。

 

 

 

戸塚 康文

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